自民・維新が連立合意、2025年10月20日
自民党高市総裁は、2週間の迷走の末、2025年10月20日、日本維新の会との連立合意にこぎつけた。
当初、自公に国民民主党を加えた枠組みで少数与党を脱する戦略は、公明党が10日に連立離脱を決めたことで崩れた。
また、自民と組んでも過半数をとれないとみた国民民主党も連立入りに消極的になっていた。
記事
2025年10月21日付日経記事「「高市自民」連立へ迷走2週間 維新と急造合意、遠藤・前原氏仲介」によれば、
「自民党の高市早苗総裁による新政権の枠組みづくり交渉は2週間、迷走した。連立維持が前提だった公明党が離脱を決め、期待していた国民民主党からも距離を置かれた。合意にこぎつけた日本維新の会との協議は実質1週間の急ごしらえだった。
「自民党総裁になったけれど『総理にはなれないかもしれない女』と言われている、かわいそうな高市早苗だ」。高市氏は14日、都内での講演で自らをこう表現した。
追い込まれていたのは間違いない。公明党が10日に連立離脱を決め、自公に国民民主党を加えた枠組みで少数与党を脱する戦略は崩れた。
自民と組んでも過半数をとれないとみた国民民主も連立入りに消極的になり、首相指名選挙で野党候補に負ける可能性が出てきた。首相指名を乗り切ったとしても、少数単独政権では政権運営は早晩行き詰まる。
それでも14日には自虐的に語る余裕をみせられるくらいの光明は見いだしていた。この前日、維新との交渉に道筋が開け始めていたからだ。
「連立に向けた協議をさせてほしい」。高市氏は13日、吉村洋文代表に電話で申し入れをした。電話番号は維新の遠藤敬国会対策委員長に聞いた。遠藤氏とは面識があったが、吉村氏とはほぼゼロからのスタートだった。
その晩、高市氏は東京・赤坂の衆院議員宿舎で維新の前原誠司前共同代表と1時間半ほど会った。両氏は松下政経塾出身という共通点がある。
前原氏は共通の知人から「高市氏と連絡をとってほしい」と頼まれ、12日に電話をかけた。「いつでも会います」と協力を求める高市氏の反応を受けて、吉村氏らに「どういうスタンスで臨むべきか」と尋ねていた。
吉村氏は副首都構想と社会保険料の引き下げなどを実施するなら、前向きに協力を考えるとの立場だった。高校無償化や「政治とカネ」の問題への対応、憲法改正なども条件にあげた。前原氏は13日夜、大阪・関西万博の閉会式後に東京へ向かった。
高市氏は前原氏に連立を視野に入れた協力を求めた。「吉村代表や藤田文武共同代表とは電話で話した」と話しつつ、維新側の出方をはかりかねていた。「しっかりやるなら前向きに考えると吉村さんは言っている」と聞いて腹を固めた。
維新への働きかけは高市氏周辺も動いていた。萩生田光一幹事長代行は公明党の連立離脱後、松井一郎前大阪府知事と電話で掛け合った。首相指名選挙に加え、2025年度補正予算案での協力に好感触を得ていた。梶山弘志国対委員長も遠藤氏と会談を重ねた。
少ない接点をつないだ複数ルートの調整を踏まえ、高市氏は立民、国民民主、維新の3党党首にそれぞれ会談を申し入れた。本命は維新だった。高市氏が維新の要求に前向きと聞いた吉村氏は、15日午後の会談に自ら臨んだ。
高市氏は8日に総裁就任のあいさつ回りをした際、維新から憲法改正や外国人政策などに関する提言書を受け取っていた。読み込んで重要箇所に赤ペンを入れ、政策協議の場に持ち込んだ。
通例は政調会長に委ねる政策協議に2回とも参加した。維新から「非常に礼節をもって対峙してくれている」(藤田氏)との声があがった。
維新は連立入りに迷いがあった。政策実現による党勢回復に向けた「いちかばちかの賭けだ」という見方があった。NHKが11〜13日に実施した世論調査で維新の支持率は1.7%に下がっていた。
一方で自民党の出方を見極めるべきだとの意見も目立った。政策協議で閣僚ポストを打診されても、閣外協力にとどめて一定の距離をとった。調整に時間がかかる企業・団体献金の規制や選挙区調整は先送りした。
連立交渉には期限があった。26日には東南アジア諸国連合(ASEAN)関連首脳会議のため新首相が出発しなければならない。直後にはトランプ米大統領の来日を調整している。
副大臣・政務官の人事や外交に向けた準備を考えると21日の首相指名が必要で、連立交渉はその前日がタイムリミットだった。期限を迎えた20日夜、高市氏が当初描いていた政権の枠組みとは全く異なる急造の自維連立ができあがった。」
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